2014年02月03日

PRちらし作ってみました。

東大二宮果樹園跡地の魅力を伝えたくて、魅力を紹介するちらしを作ってみました。

東大二宮果樹園跡地の魅力紹介


私が作成した提案プランを基に、この跡地の活用イメージを図にしてみました。

将来イメージ図

「しお風」神保智子  


2013年09月01日

住民力を結集するふれ愛観光の核に

約4万平方メートルの敷地でこんなことを夢想しております。







「しお風」神保智子
  


2013年08月09日

東大果樹園跡地に現存する建物紹介

東大二宮果樹園跡地は、二宮町の中心にある広大な土地で、二宮町の購入が2012(平成24)年3月議会で決定。
東京大学の土壌調査により一部汚染が認められため、東京大学による除染後2013年(平成25)年に二宮町が取得。
面積37,625.21㎡ 市街化調整区域 学校用地

東大二宮果樹園は、平成20年の閉園後は西東京市の田無キャンパスに合流し、跡地は二宮町が購入し、活用して行く予定です。 
  
建物も洋館や日本建築、ドーム、ケーブルカーの発着施設など様々な建築様式でとてもレトロな雰囲気で、大正、昭和初期の建物がこれだけ揃っているのは貴重なものだと思います。

外観はペンキがはがれていたりしていましたが、さすが東京帝国大学の施設で、14年放置されていたとは思えないほど躯体はきちんとしていました。

建物紹介の内容は二宮町が東大に問い合わせた結果として東京大学果樹園跡地活用等検討委員会に提出した資料を参照し、画像はまちづくり工房「しお風」で撮影したものです。生産物加工室内部の画像は検討委員の一人からいただいた画像です。

①管理舎 
1926(大正15)年11月竣工 木造1階建て 建物面積66㎡(延66㎡)
吾妻果樹園新設(後の二宮果樹園)当時からある観音開きのルーパー付の建築当時としてはモダンな建物であり、他の田無(現在西東京)を含む農場建物に見ることができない外観を持つ。



②肥料舎 
1921(大正10)年3月竣工 木造1階建て 建物面積33㎡(延33㎡)
園田幸吉男爵が建築し、園田武彦氏が家督相続したものを大正15年3月31日に25円で購入。当初は草萱であった。現存する建物で最も古く園田幸吉男爵が建築した唯一の建物であるが、老朽化が激しいので保存については要検討。


③学生宿舎
1934(昭和9)年3月竣工 木造2階建て 建物面積233㎡(延419㎡)
田無にある学生宿舎と全く同じ建物で田無よりも先に建てられていることから、建築年から当時の営繕課長であった内田祥三元総長の監修下で建てられた推定される。平成9年にトイレ改修等が施され、現在に至る。




④生産物加工室 
1935(昭和10)年10月竣工 木造1階建て 建物面積133㎡(延133㎡)
建築年から当時の営繕課長であった内田祥三元総長の監修下で建てられた推定される。越屋根付の2つの切妻がTの字型に配置されている他の田無(現在西東京)を含む農場建物に見ることのできない外観を持つ。ここで生産されていたイチジクの缶詰は宮中に献上され、昭和天皇の好物であった。




⑤収納舎 
1938(昭和13)年1月竣工 木造1階建て 建物面積59㎡(延59㎡)
建築年から当時の営繕課長であった内田祥三元総長の監修下で建てられた推定される。他の田無(現在西東京)を含む農場建物の典型的な様式である西洋建築の柱構造をもつ。

⑥門(門柱)
1934(昭和9)年12月竣工 鉄筋コンクリート造 
鉄筋コンクリート造石両開大扉付。田無(現在西東京)の農場本体の門柱よりも一回り大きく立派である。


⑦実験室
1938(昭和13)年2月竣工 木造1階建て 建物面積39㎡(延39㎡)

⑧温室
1967(昭和42)年3月竣工 鉄骨造1階建て 建物面積129㎡(延129㎡)


⑨第一号倉庫 
1931(昭和6)年10月竣工 木造1階建て 建物面積99㎡(延99㎡)

⑩第一号果物貯蔵庫 
1937(昭和12)年1月竣工 鉄骨造1階建て 建物面積8㎡(延8㎡)


⑪第二号果物貯蔵庫 
1937(昭和12)年1月竣工 木造1階建て 建物面積24㎡(延24㎡)


⑫堆肥舎
1937(昭和12)年10月竣工 木造1階建て 建物面積33㎡(延33㎡)


⑬薬剤散布ステーション 
1959(昭和34)年1月竣工 木造1階建て 建物面積14㎡(延14㎡)

⑭屋内作業場 
1981(昭和56)年1月竣工 鉄骨造1階建て 建物面積102㎡(延102㎡)


⑮外便所 
1988(昭和63)年3月竣工 鉄骨造1階建て 建物面積9㎡(延9㎡)


その他建物
◆ケーブルカー発着所


◆事務所    


◆農具置き場
   

◆薬品庫       


◆?








「しお風」神保智子


  


2013年08月09日

東大二宮果樹園の概要

東京大学大学院農学生命科学研究科附属農場二宮果樹園は1926(大正15)年に開園し、2008 (平成20)年閉園までの82年間、果樹は主としてカキ、ブドウ、ナシ、モモ、スモモ、アンズ、ウメ、イチジク、ミカン類、ビワなど。そのほか和洋各種の野菜類、庭園花卉等の栽培試験、品種改良、採種などを行っていました。


昭和10年に吾妻村から二宮町になりましたが、それ以前は吾妻果樹園と呼ばれていました。
東京帝国大学ではこれまで土質が栽植に適さなかったり、果樹園が水害にあったりして適当な土地を探していたもので、東京の羽田空港に近い大田区六郷果樹園と入れ替わる形で設置されました。

早速、1925 (大正14)年、1926 (大正15)年、1930 (昭和5)年の3回にわたり、合計4.6ヘクタールの用地を購入、園田男爵別荘宅地跡(諏訪脇)、隣地の水田(栗谷前)を転換して果樹園を造成しました。

用地の購入にあたっては、当時東京に近く、しかもミカンの経済的栽培が可能であるという点が考慮されたとのことです。

沿革
1915(大正4)年~1923(大正12)年 園田幸吉男爵別荘と果樹園
園田幸吉男爵(横浜正金銀行頭取等を歴任)が持病悪化のため吾妻村(今の二
宮町)の中里諏訪脇に別荘と果樹園(梨)を造り、療養生活。関東大震災で建
物崩壊、逝去。

1926(大正15)年 東京帝国大学が取得、農学部附属農場果樹園を移転、
吾妻果樹園開設(みかんの経済的栽培が可能という理由)

2008(平成15) 年閉園

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2012年04月27日

東大果樹園再生を考えよう 

昨日4月26日(金)からラディアン(二宮町生涯学習センター)展示ギャラリーで「みんながつながる 町(ここ)が好き!」パネル展を開催しています。

様々な人たちが参加した展示会です。「しお風」も参加し、「未来に伝えたい風景」や東大果樹園跡地についての問題や現状を紹介しています。ぜひ、ご来場ください。

東大果樹園跡地については、先日地元の人を介して、東大側に許可を得て、現地を邸園文化調査団の方たちと一緒にみてまわりました。

建物も洋館や日本建築、ドーム、ケーブルカーの発着施設など様々な建築様式でとてもレトロな雰囲気で、昭和初期?の建物がこれだけ揃っているのは貴重なものだと思いました。







 
外観はペンキがはがれていたりしていましたが、さすが東大の施設で、14年放置されていたとは思えないほど躯体はきちんとしていました。

また、様々な果樹農園(ぶどう・桃・梨・みかん・八朔・キウイ・カキ・栗)も枯れているものもありましたが、まだ現存し、その他様々な樹木、野草などもあり、とても面白かったです。しかし、木々は葛や藪からしなどの蔓性植物に覆われ、このまま放置すると枯れてしまう状態でした。




このようなことも踏まえながら28日(土)10:00~「魅力発見!まちづくり茶話会」を開催します。

ぜひ、参加してください。

財政危機にある二宮町では、東大果樹園跡地を活用し、町の魅力向上、経済効果、定住促進につなげなければなりません。一緒に知恵を出し合いましょう。